介護や福祉の現場に立つと、日々さまざまな場面で「人と人との関わり」の難しさに直面します。特に高齢者や障がいのある方を支援する私たちは、日常のケアの中で、意図せず「不適切な対応」や「関係性の歪み」が生まれてしまうリスクと常に向き合っています。
「虐待防止」と聞くと、多くの人は「自分には関係ない」と思うかもしれません。しかし、虐待は決して特別なことではなく、現場での“ちょっとしたズレ”から始まるのです。今回は、初任者や初学者でも理解しやすいように、虐待防止の基本的な考え方を、現場に即した視点から丁寧に解説します。
1.虐待とは「行為」ではなく「結果」である
虐待を語るうえで重要な前提があります。それは「虐待は意図ではなく結果である」という考え方です。
たとえば、夜間の排泄介助を拒否する高齢者に対し、職員がつい強い口調で「言うことを聞いてください!」と怒鳴ってしまったとします。このとき職員に悪意はなくても、利用者が恐怖を感じたり、精神的な苦痛を受けたとしたら、それは“心理的虐待”に該当する可能性があるのです。
厚生労働省の定義(高齢者虐待防止法)では、虐待とは以下のような行為を指します。
- 身体的虐待:暴力をふるう、身体拘束するなど
- 心理的虐待:暴言や無視、不安をあおる言動
- 性的虐待:本人の意思に反した性的な接触や羞恥を与える行為
- 経済的虐待:金銭を不当に取り上げる、使わせないなど
- 介護・世話の放棄・放任(ネグレクト):必要なケアを提供しない
ポイントは、「相手がどう感じたか」という視点です。職員の側の善意や忙しさとは別に、支援を受ける側にとって“苦痛”であれば、それは虐待とみなされる可能性があります。
2.「不適切ケア」と「虐待」の境界線
多くの現場職員が疑問に思うのが、「これは虐待か、それとも単なる不適切ケアか?」という線引きです。
たとえば、認知症のある方の排泄介助中に、「もう、おむつにしておけばいいのに…」と無意識につぶやいたとします。この発言は、故意ではなくても利用者を傷つける可能性がある“心理的虐待”に該当することもあります。
このようなグレーゾーンの行為は、放置するとエスカレートしやすく、結果として本格的な虐待へとつながるリスクをはらんでいます。
現場では、「言いすぎたかもしれない」「怒りすぎたかも」と感じた時点で、記録に残す、上司に相談する、自分の感情を振り返るなどの“予防的対応”が求められます。
3.虐待防止は「仕組み」と「人づくり」の両輪で進める
重要なのは、「虐待を起こさない人」を育てるだけでなく、「虐待が起こらない仕組み」を職場全体で整えることです。個人の倫理観や思いやりに頼るだけでは限界があり、どんなに誠実な人でも、ストレスや疲労が蓄積すれば判断を誤ることがあります。
ある特別養護老人ホームでは、以下のような取り組みが行われています。
- 毎朝、全職員が「気になること」をホワイトボードに書き出し、全体で共有する
- 月1回、感情マネジメントやアンガーマネジメントの研修を実施
- 新人職員には必ず1人の“メンター”をつけ、困りごとを話せる体制を整備
こうした取り組みは、「自分を振り返る力を育てること」と「現場全体で気づきを共有する仕組み」の両方を支えています。つまり、虐待防止は“人”と“組織”の両面からのアプローチが欠かせないのです。
4.私たちが“見落としがちな”サインに気づくこと
実際に現場では、虐待の“前兆”がさまざまな形で現れています。
- 利用者がある特定の職員に対して「怖い」と訴える
- 食事の量が急に減り、無表情になる
- 排泄の失敗が急に増える
- 夜間になると混乱や不安を訴える
こうしたサインを「年のせい」「認知症だから」と片づけず、「もしかしたら、何かあったのかもしれない」という視点で受け止めることが虐待防止の第一歩です。
5.誰もが加害者にも被害者にもなり得る
最後に強調しておきたいのは、虐待防止の現場では、「自分は絶対にしない」という思い込みが最も危険だということです。
慢性的な人手不足、夜勤続き、終わらない記録業務、感謝されない日々――こうした積み重ねの中で、どんなに優しい職員でも感情のコントロールが難しくなることがあります。
だからこそ、「感情を整える技術」と「気持ちを吐き出せる場」と「困ったときに相談できる風土」が、虐待防止の三本柱なのです。
まとめ ― 小さな気づきが大きな防止策に
虐待は突然起きるのではなく、日々の小さな“ズレ”や“我慢”の積み重ねの先に起きるものです。職員一人ひとりの気づき、チームでの支え合い、そして仕組みの整備こそが、利用者と職員の両方を守る最善の対策です。
次回は、「具体的にどうすれば虐待を未然に防げるのか?」という視点から、職場づくりや個人のセルフケアについて深掘りしていきます。現場で今日から使える実践ヒントをお届けします。
■厚生労働省『市町村・都道府県における高齢者虐待への対応と養護者支援について(令和7年3月改訂)』
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000200478_00003.html
■東京都の取組 | 高齢者虐待防止と権利擁護https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/zaishien/gyakutai/torikumi/#pamphlet